バイパス沿いの風景について

Category : 日記

明けましておめでとうございます。
4月からは社会人になる身ということで
2008年4月から住んできた京都にいるのも残り数ヶ月となりました
でも、年に数回は京都に来る生活をしそうな気がします
帰省でもするような感覚ですね

帰省と言えば、年末年始に実家に帰ったときに
「国道」「県道」「バイパス」といった幹線道路沿いの風景っていいなぁ
という思いが何だか強まりました

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写真はGoogleストリートビューから。

郷愁とか以前に、幹線道路沿いの風景が好きです。
こういう大きな通り沿いをチャリでずっと走っているうちに知らない町に行ってしまった経験はあるでしょうか。知らない町に着いたとて特に何もせずに来た道を引き返し、辿り着いた家で暖かさに浸った思い出があります

そういう小さな遠出をしてみた時に、日が沈んでいくに従って怖さとワクワク感が同時に訪れるような思いをした記憶があります。
そんな経験も含めて、上の写真の様な風景が持つ *どこかにつながっているような開かれた感じ* が好きなんだと思います。

バイパス沿いの風景って、「チェーン店・コンビニ・TSUTAYAが立ち並び、どこに行ってもおんなじような感じ」「交換可能な景色」「資本主義が地域の特色を追い払った」という言われ方をすることもあるようです。どちらかというとネガティブな捉え方をするときの語り口ですが、「ファスト風土」という言葉と関連するのかな

しかし、自分にとっては生まれたときから
家と駅の間にバイパスがあったり、従兄弟や友達の家に行くまでのルートはバイパス沿いだったりするので
幹線道路の景色は当たり前にあるものでした。
(批評的な目線の) 他人がネガティブな捉え方をしていようが、僕にとっては地元の風景なのです。だから僕にとってはバイパス沿いの景色がふるさとの原風景のようなものです。

「高島屋(デパートじゃなくて個人商店wwww)の横の歩道橋をわたったとこのセブンイレブンでパートで働いてるのって●●さんの母さんだら?」
という風に、バイパス沿いを舞台にして「地域」「地元」がつくられていました。

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どこにいっても似たような交換可能な景色なのに、それを原風景と呼ぶのかよ

と思うかもしれませんが、風景というのは自分の体験・経験を経て記憶と結びつけられることによって本人にとっては交換不可能になるはずです。

他人からすれば同じコンビニの店舗であっても
中学の頃 塾帰りに寄って金あんまないからガブリチュウだけ買って噛んでた 
とか、
高校の頃 文化祭でバンドの練習するのに登校中の行きしなに楽譜をコピーしにいったら他校の吹奏楽部の女の子が同じように譜面を刷るのにコピー機を使用中だったんだけど原稿を忘れたまま店を出ようとしたので渡しにいったら可愛い子だった 
みたいな思い出によって個人的に「二つとないコンビニ」になっていたように思います。


たとえそのコンビニがつぶれても、まだそこにあった頃のことを自分は体験しているので
時が経っても *その場所の景色が二つとないものであること* は変わらないはずです。


「心のふるさと」みたいなのは本来、ごく個人的な景色なのかもしれない


ちなみに道路とは関係ないですが「団地」への思い入れを
某出版社の方がブログで綴っていたので紹介。

http://ro69.jp/blog/yamazaki/92332

団地もまた「交換可能」な景色のように捉えていましたが、そこに「ちょうどよく作られた素晴らしいレジデンシャル・スペース」としての魅力を見出したテキストとして印象に残りました
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ストリートビューは車載カメラ視点の画像ということで、
目線の仰角・俯角を変えてみると歩行者には撮れない写真がでてきて面白いですね

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それでは本年もよろしくお願いします!!
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Author:ユミヤシ
元: 閃雷です。このたびハンドルネームを変更いたしました。よろしくお願いいたしますc(´ω`)p

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